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 結局ひな達と一緒に食堂を出ることになった留三郎は、釈然としない表情で彼女達を見下ろした。

 それぞれの教室へ向かった五年生。彼等とのやり取りは気安く、たった一日で随分馴染んでいるのがまず一点。
 初っ端からバサラ技で諌められた留三郎には、ひなをちゃん付けする五年生の感性が理解できない。そしてそれをひなもひわも受け入れているのが、意外だ。

 留三郎だけが残ると、あからさまな程ではないが二人の纏う空気が固くなった。彼には間違ってもひなやひわの手を無理矢理引っつかむような真似はできそうにない。

「じゃあ、こっちだ」
 留三郎は指で方角を指し示し、二人へ移動を促した。

 二人は黙々とついてくる。時折ひわが首を巡らすのは、敷地内の位置関係を確かめているからだろう。ひなはその横を真っ直ぐ歩いている。
 後ろに気を取られていると足元が疎かになるので、常に伺うわけにも行かないが、ひなが罠──落とし穴等に踏み込もうとすると、ひわが袖を引いてそれを止める。ひわ自身が罠を発動させることもない。

 留三郎がひわのバサラ技を見たことはないが、純粋に立ち居振る舞いを見ると、彼女はバサラ者というよりくのいちと言われた方が近い。だからだろうか、彼女の警戒を認識しやすいのは。一方ひなは、本当に何を考えているのか計り知れなくて苦手だった。

「あー、そういえば、二人とも昨日はあの長屋できちんと眠れたのか?」
 留三郎は気まずさを押しのけるように尋ねる。
 五年生とあれだけ打ち解けていたからには問題はないのだろうが。

「……まあ、布団なしで眠るのにも慣れていますから」
「は?」
 まさかのひなからの回答に、留三郎は足を止めて振り返った。
 ひわは遅れることなく足を止め、ひなもそれに倣って立ち止まる。
 二人とも、昨日と同じ表情に乏しい顔つきで、冗談を言っているようには見えない。

「なんで布団がないんだ?」
「普通、それを聞きたいのはこちらの方だと思いますが」
「あ、いやそれもそうだ。久々知も備品がそろってない部屋だと言っていたな。けど布団ぐらいあった筈だが……」
 留三郎は眉を顰めた。
 しまいっぱなしの布団が使用に耐えうる状況化はともかくとして、各部屋には二組ずつ布団が備わっている筈だった。わざわざ使っていない部屋の布団を持ち出す訳が分からない。

「今ここでそれを言っても仕方がないことでしょう。それより──」
 実にもっともな指摘を入れたひなが、言いかけた言葉を止めて口をつぐんだ。

 どどどどどどどど

 文字に起こすとすればそうとしか表現できない物音が、こちらに向かって急接近したためだ。
「うげっ!」
 留三郎は頬を引き攣らせて迫りくる土埃を見る。それからひなとひわに視線を移し──賞賛すべき判断力で校舎の壁沿いに退避していたので、再び土埃の主に視線を戻した。

「留三郎おぅぉぅぉぅ~!」
 ご丁寧に彼の名を叫びながら猛スピードでやってくる、小平太。ややこしいことになりそうだと留三郎は頭を押さえる。

「なあ留三郎聞いたかっ?!」
 きゅきぃぃぃぃっとその目の前で急ブレーキをかけた小平太は、満面の笑みで勝手にしゃべり始めた。

「五のいの竹谷八左ヱ門が学園に女連れ込んでいきなりプロポーズしたんだと!」
「はあ?!」
「なんかこう、いきなりがしっと手をひっつかんで、「さっさと俺の気持ち受け取れよ」ってやったらしいぜ」
 言いながら、小平太は実際に留三郎の手を握って見せる。力加減されないせいで、骨がみしっと音を立てた。
 留三郎は力いっぱいに小平太の手を振り払う。

「余計な身振りはいらんっ! 痛いだろうが手を離せっ!」
「大袈裟なやつだなっ」
「それはこっちの台詞だっだいたい、どっからそんな話仕入れてきたんだっ?!」
 痛む手にふうふう息を吹きかけながら、ふり払われた手に不満げな小平太に突っ込むと、
「そこらで塹壕掘ってたら、二年坊が興奮して話してるのが聞こえたんだ」
「そうか、また無駄に俺たちの仕事を増やしたな?」
「何言ってる、塹壕は野戦の実習の基本だろ!」
「なんだと?!」

「──食満殿」
つかみ合いに発展しそうなところで、静かなひなの声が飛んだ。
 留三郎はぎくりと肩を強張らせる。
 小平太はそれでようやく、留三郎の近くに二人がいることに気付いた。

「そーいや留三郎、こんなところで何やってるんだ? どしたの? この子達」
「……保健室で説明受けただろうが! 三、四年の訓練中に落下してきた二人組だ! 俺ぁ案内頼まれたんだよ!」
 ぽへ、と気の抜けた顔で首をかしげる小平太に、留三郎の米神に血管が浮き上がった。
 小平太はさらに首を捻り、間をおいてからぽん、と手を叩いた。

「おー。そういや元気になったんだってな!」
 にかっと笑い、ふるふる震える留三郎は横に置いて、
「俺は六年ろ組七松小平太! 花形の体育委員会委員長だ、よろしくな!」
ろくろ……?」
「そう略す時もあるな! なあ、伊作から聞いてるけど、改めて名前聞いてもいいか?」
勝手に自己紹介タイムに入る。勢いに引いたのか、ひわはひなの袖をギュッと握り、呆然とした顔で小平太を見ている。訳もなくどうでもよさげな所属クラスだけを繰り返すあたり、混乱していると留三郎は思った。

「ひなです。こちらはひわ」
 半歩だけ前に出たひなが、二人分まとめて応えた。
 珍しく彼女の目にも困惑の色が浮かんでいる。
「あの、七松君」
「ん? こへーたでいいって。二人とも講師やるんだろ?」
「じゃあ、小平太君」

──んん~?!
 留三郎は目を剥いた。
 留三郎は未だに「食満殿」なのに、小平太は初めから「七松君」で、あっさりと「小平太君」と呼び換えられた。 頑なな言葉遣いも、心なしか留三郎に対するよりもやわらかいような気がする。
 ひなは呼び掛けておいてから、少し迷うようにひわを見た。
 ひわの首が、かすかに上下に動かされる。

「……ご実家は、信濃の海野家と何か御関係が?」
「んー? あーまあ、あるっちゃあるのかな。遠縁過ぎて就職口にもならんので俺は忍者を目指すことにしたんだけどな」
 小平太は眉を寄せて少し考えてから、結局あっけらかんと言った。
「でもなんで?」
「前に自慢げにそう言っていた知人とよく似ていたので、血筋かと」
「へえ、二人とも顔が広いんだなっ」
「旅を──していたから」
 ひなから話を引き継いだひわはそう応え、ふっとわずかに苦笑の形に口元を緩める。
 初めて二人と話す小平太は、何の引っ掛かりも感じずに、
「女の子二人で旅ってスゲーよな! やっぱ腕に覚えありって奴か?」
「さあ? 逃げ足が速いだけかもしれないでしょ」
「そいつぁいいや!」
あっはっはと楽しそうに笑った。

「あー、そろそろ良いか?」
 和やかな会話の中を割って入るのも勇気が要ったが、留三郎は恐る恐る口を挟んだ。
 ぐずぐずしていては、あっという間に昼になってしまう。吉野先生から頼まれていたのは、「朝食後に」二人を連れて来いということだったのに。だが、
「何だ留三郎、混じりたいならそういえよ」
からかうような小平太。
「何の話だ! 案内中だと言ったのをもう忘れたのか鳥頭」
「はい、そこまで」
 言い争いを始めそうな二人の間に、黒っぽい何かが差し入れられた。
 一見すると、漆塗りの檜扇。けれどその素材は上質の黒鉄で、透かし等雅な装飾でありながら立派な凶器である。

「──小平太、取り敢えず用事があるから、また後で時間が合ったら話そう。
 食満、敢えて喧嘩腰になる意味がわからないんだけど?」
 ひわに言われて、留三郎と小平太は扇越しに顔を見合わせた。
 留三郎に絡んでいただけの小平太はあっさり引き下がり、
「じゃあ、後でなっ」
「あ、おう」
気を削がれた留三郎も肩の力を抜く。
 二人の距離が離れたのを見て、ひわは扇を引っ込めた。

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「ここが食堂。朝も昼も早い者勝ちだから気をつけてね」

 勘右衛門が導いたそこには、明るい喧騒が満ちていた。

 長屋とは別棟。保健室とも別の建物だが、全校生徒と教職員、男女の別なく利用するというだけあってそれだけでも立派な建物だ。

「遅いぞ、お前ら」
 足を踏み入れると、一つの卓を占領した青の忍び装束の少年が声をかけてきた。
 つやつやの髪を結い上げた、大福餅のような丸顔の少年だが、肩から下がスレンダーなのでどうにもバランスが悪い。

「朝っぱらから何しんべヱの顔してるんだよ!」
 兵助が突っ込むと、彼は顔に手を当てて標準仕様──雷蔵と同じ顔を作り上げる。
「この慌ただしい朝の時間に席の確保をしていただけ有り難いと思えよ」
「オススメは朝がゆセットかなー。くのたまから評判良いみたいだよ」
「おばちゃん、饂飩と焼き魚セット頼むよ!」
「あ、俺も!」
「あいよ! お嬢ちゃん達はどうするんだい?」
「えーと、雷蔵君、お先にどうぞ」
「あ、うん。どうしようかな…………朝がゆと饂飩は変だけど今日の授業は……」
 悩んでいる雷蔵を含め、誰も三郎を気にしていなかった。

「「朝がゆと冷奴で」」
 突っ込みした兵助までが注文に顔を向けると、三郎はジメジメとした空気をしょい込み、卓上でのの字を書く。
「いーんだいーんだ、私なんてはぶられて席取りのパシリに使われるくらいなんだから」
「あーもー鬱陶しい! 先に一抜けしたのはお前だろーがっ!」
 切り捨てた八左ヱ門は次に兵助を睨み、
「また朝から豆腐だとぉ?!」
「ほっとけ! つか誰かの声と重なったよな……」
「私」
「あたしはそれじゃあ朝がゆをお願いします」
首を傾げる兵助の横から自己申告したひわと、オーダーを決めたひな。何となく五年の名物五人に馴染んでいる二人を、下級生達は不思議そうに見ている。
「雷蔵も悩むなら勘右衛門達と同じのにでもしたら?」
 ひわは雷蔵に一声かけて、すたすた受取口に進む。
「おら、後ろつかえてるぞ」
「じゃあ饂飩と焼き魚にするよ」
 兵助に背中を小突かれ、雷蔵はひわの提案を採用する。ひなを先へと促す八左ヱ門。勘右衛門はよりマイペースに、既に受取口そばで人数分の白湯を用意している。
「酷いな~、みんなしてほんとに無視するのはやめてくれる?」
「三郎、朝からしつこいよ?」
 引き続きいじける三郎への止めの一撃は、意外にも雷蔵の笑顔とともに放たれた。


 他の卓に負けず賑やかな五年生プラス2のテーブルを、他の学年は遠巻きに見ていた。

 一、二年生は互いを突いて、誰か話を聞いてこいとひそひそ言い合っているが、こんなときに限って怖いもの知らずの一はが不在で、上級生への遠慮が勝った。
 三年生は数日前の人体落下事件を思い出して、あの時の二人で良いのかそれとも誰かの変装なのかと囁きあったり、こんなときに限って一番詳しいだろうクラスメートが迷子捜索で不在なのを呪ったりしていた。
 四年生の姿はなかった。混み合う時間を避けて既に校舎へ向かったようだ。

 そして、食事を終えて席を立った六年生──

「あー、食事中済まないが、ちょっと良いか?」
 空の食器の載った盆を片手に、緑の忍び装束が注目の一画に近付いた。

「あ、食満先輩、おはようございます」
「何か俺らにご用っすか?」
 雷蔵と八左ヱ門は挨拶するが、饂飩に夢中の勘右衛門と豆腐に夢中の兵助は見向きもしない。三郎に至ってはまだヤサグレ中なので、相手を一瞥した後すぐに目を反らしてしまった。ひなとひわは中間で、一先ず食事の手を止める。
 留三郎は引き攣り気味の笑みで反応の薄い面々を見、最初の二人には
「いや、お前らじゃない」
と断りを入れた。

「ひな、ひわ、食事が終わったら吉野先生の所に連れてくから校舎前に来てくれ……いや、下さい」
 何も言わないのに、ひなに目を向けられた留三郎は語尾を訂正する。
「吉野先生?」
 ひわが首を傾げると、今度は兵助も顔をあげる。

「用具や事務管理の先生だよ。二人ともまだ備品も揃ってない部屋だったし、それでじゃないか?」
「ああそうだ。その後で小林先生と四條畷先生が授業計画について打ち合わせたいと言っていた」
「了解。引き受けた以上それなりに仕事はするわ」
 頷いたひわは食事を再開する。箸を使って一度に口へと運ぶ量は隣の兵助よりも少なめだったが、ペースは早目なので食べ終えるのは同じくらいになりそうだ。兵助はひわに説明する間手を軽く止めただけで、留三郎には目もくれない。留三郎の頬が引き攣る。
 けれど兵助の振る舞いに彼が何かを言う前に、ひなが口を開いた。

「小林先生と四條畷先生というのは、どなたですか?」
「三年と四年の実技の先生。あ、そうだ」
 今度応じたのは勘右衛門。口を付けていた丼を下ろし、留三郎の辺りに顔を向けてから思い出したような感嘆詞を持ち出すが、
「ひわさん捜してたのって昨日使ってた櫛?」
──がくっ
またもや存在をスルーされた留三郎。
 ひわの箸がまた止まる。
 豆腐の最後の一欠けらを飲み込んで、彼も「おー、そうそう」とひわに目を向けた。
 反対側では八左ヱ門が眉をひそめる。同じ顔の二人は、目だけ動かして勘右衛門を見た。

「また忘れる前に返しておけよ」
「え──」
「っまえら!」
 ガタッと二人同時に卓を揺らした。その片方に向かい、勘右衛門はへにょりとした笑みで詫びる。
「ごめんね、昨日八左ヱ門が拾ったんだけど、汚れちゃったから綺麗にして返そうと思ってたんだって」
「ほらハチ」
 兵助に促され、八左ヱ門は渋々懐へ手を入れる。
「……ほら、これ」
 ぶっきらぼうに差し出される櫛。ひなとひわは目を丸くして、痺れを切らした八左ヱ門がひわの手に櫛を押し付ける。
 ガシッと右の手首を掴み、押し込む乱暴な挙動に、留三郎の頬が先程とは違う理由で強張った。
 けれどもそうされたひわの顔に怒りはなく、
「あ──りがと……」
のろのろと胸元に引き寄せた櫛を確かめると、頬を微かに染めてたどたどしく礼を言った。

「「「──!」」」

 間近にそれを見た兵助、向けられた八左ヱ門、彼女のそんな表情を初めて見る留三郎は息を飲んだ。

 たかだか櫛一つで、その目に込めた感情の深いこと。


「よかったですね、雷蔵君」
「へ、えっ? ケホッ」
 それを見たひなが、妙に淡々とした声で言い出したので、雷蔵はおかしな声を上げて噎せてしまう。
 三郎は苦笑して雷蔵の背を摩る。

「何で雷蔵?」
「話の流れで何となく──勿論これも今は忘れて構わない話ですよ?」
「はは……ひわさんもひなちゃんもそれ?」
 力無く笑う雷蔵。ひわの予想外の表情に衝撃を受けていた留三郎は、ぎょっとして雷蔵を見た。
 兵助は勘右衛門と目を交わし、どちらからともなく肩を竦める。調子の狂った顔の八左ヱ門は、わざと音をたてて白湯を啜る。

「留三郎先輩?」
 唖然と自分達を見ている留三郎へ、三郎が声をかけた。

「ひわ姐さん達もうちょいで食べ終わりますけど」
「……」
 留三郎は肩を落とし、自らの食器を下げに向かった。

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 部屋に差し込む光と、雀の声でひなは目を覚ました。ふと横を向くと、ひわの姿はない。
 夜具がわりの着物は片付いており、既に起床していることが判った。

──まだ本調子じゃないのに……
 眉をひそめて、ひなも支度を整える。

 入口の引き戸を開けると、朝の空気が入るとともに、外をうろうろするひわの姿を見つけた。

「どうしたの? ひわさん」
「あ──ひな」
 声をかけると、珍しく憔悴したようなひわの顔。

「見つからないの。ここに落ちてると思ったのに」
「て、何が?」
 同じ場所にひなも降りる。途方に暮れたひわの視線は地面や叢を何度もさ迷って、そうしながら彼女は答える。

「櫛……」
「櫛?」

「あの……がくれた、……の櫛」
 所々聞き取りづらいのは、ひわが屈んで叢を掻き分けたり、土を払ったりしながら喋るからだ。それこそ、着物が汚れたり爪の間に土が入り込むのを頓着する様子もない。
 ひなは聞き取れなかった部分を脳内で補完して、
「あれ、まだ使ってたんだ?」
思い浮かべる事ができたのは、それがまだ二人同じ陣営にいた頃の出来事だったから。自分達の体感では、もう七、八年になるだろうか。それだけ古い櫛だ。

 ひわは少しバツが悪そうに目を泳がせて、
「……れは、ぃぞぅが──」
「え、何?」

──びくっと二人揃って飛び上がった。

 振り返ると、青の忍服を纏った少年が、目をぱちくりさせて二人を見ている。今度は雷蔵と三郎、どちらだろうか──ひなが迷っていると、ひわが答えをくれる。

「あ……雷蔵」

「う、うん、どうかした?」
 おっかなびっくり尋ねるのは、どうやら確かに雷蔵らしい。ひわは彼の名を呼んだ後、遠くを見るような目つきで暫し黙り込んだ。

「あの、雷蔵君、ひわの櫛を知りませんか? 倒れた時に落としてしまったようで、二人で探していたんです」
 ひわが言わないので、ひなが雷蔵へ問い掛ける。何処から聞かれたかわからないが、音に出したのが雷蔵の名前だけならば、昨日の出来事と結び付き、問題はないはずだ。

「え、櫛? うーん、ごめん、よく覚えていないや」
 雷蔵は記憶を辿った後、首を振った。

「あの時近くにいたのはハチと三郎だし、二人のどっちかは何か見てるんじゃないかな」
「そうですね、ありがとうございます」
 ひなは雷蔵の思いつきに頷いて礼を言った。ひわはまだ意識を遠くに飛ばしたままだ。

 雷蔵はそれを気にするように窺い見て、
「それって、そんなに大事な物だったの?」
「ええまあ……」
ひなはひわにちらりと視線をくれ、肯定する。

「大切な思い出の品、だったと思います」
「そうなんだ。それはこまったね。食堂で会えるだろうから、二人とも井戸に回ってから食堂に行って訊いてみよう」
 雷蔵は遠慮がちに笑いかける。

「そうね……」
 ひわは上の空で呟いた。それから長屋の屋根を見上げて、

「値段も年季を考えても、壊したり無くしたりしても惜しくない物かもしれないけれどね、金銭的価値と個人の価値観は必ずしも一致しないから」

「えっ?」
驚く雷蔵にやっと視線が戻る。

「今はわからなくて良いよ──もしもがあったら、「後で」見てなさいって、そこいらに張り付いてる暇人に言っただけだと思ってて」
「え、そこいらって……」
 ひなは弾かれたように辺りを見回した。

 木々の影、屋根の上、縁の下、隣室の扉──そういえばそこが誰の部屋なのかまだ聞いていない──気配を探るが、ひなには誰がどこにいるのかわからない。

 一方、雷蔵は苦笑いして肩を落とした。

「本当に気付いちゃうんだ? ひわさんてくのいちみたいだね」
「ワクワクして本気で隠れていなかったのは勘右衛門? でなくとも、あれだけガン見されてたら、気配に聡い人ならすぐ気付くでしょ」
 ひわが睨むと、木陰と扉の影から楽しそうな勘右衛門と悔しそうな八左ヱ門が顔を覗かせる。

「いつの間に……」
 ひなは驚いた。木の陰など、ひわは先程近くを探していたはずだ。その時に気付いていたなら、ひわはそれでも櫛の話を続けたろうか──雷蔵が現れた時の驚きは本当だったのに。
 ひわは髪をかきあげようとして、その手の汚れに顔をしかめ、手首で落ちかかる髪を押しやった。

「愚問だよ、ひな。あれだけガサガサ捜し回ってるのに、曲がりなりにも忍び予備軍が出てこないほうがおかしい」
「あははー、何か一所懸命だったから、声かけにくくてさ」
 勘右衛門に悪びれる様子はない。

「あ、ほら髪に泥ついちゃうよ」
 懐から取り出した手ぬぐいでひわの額についた土を払うと、勘右衛門は彼女の手を取ってその汚れを拭き取りはじめた。
 あまりにも自然な振る舞いに、ひわも暫しされるがまま勘右衛門の行動を眺めてしまう。

「……って! そのくらい自分でやるって!」
 我に返ったひわは慌てて手を引っ込めた。爪の間はともかく、腕や手の平、指の土汚れはもうほとんど拭われている。

「ははは、ひなちゃんも、はい、濡れ手ぬぐい」
「えっ? あ、兵助君」
 珍しいひわの反応を見ていたひなは、目の前に手ぬぐいを突き付けられ、ぎょっとした。
 それがまたいつの間にか現れた兵助の差し出した物だったので、ひなの声も気が抜けてしまう。素直にそれを受け取ると、腕や手についた汚れを拭き取った。

「ありがとうございます」
「……りがとう、何処で洗えば良い?」
 ひなが言うのに続けて、勘右衛門から手ぬぐいを奪い取ったひわもツンデレ気味な礼を述べる。

「じゃあ改めて、井戸に寄って朝ごはんに行こうか」
 クスクスと雷蔵が笑って、手をあまらせた勘右衛門は指をわきわきさせた後でダランと腕を下ろす。
 不覚を取った彼を、八左ヱ門が鼻で笑った。

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 自室の床に寝そべって、八左ヱ門は懐から取り出した櫛を眺めていた。

 長い間大事に使われていたことがわかる、塗りの剥がれかけ、使い込まれた櫛。
 夕食の時に返しそびれたそれの、本当の持ち主はひわだ。

 雷蔵の髪を梳き終えるかいなかで倒れてしまったときに、彼女の手から滑り落ちた櫛。あの時の赤い顔と潤んだ瞳、ぶっきらぼうな対応は、高熱によるものだと把握した。それはいい。
 解せないのは、何故ひわの方が無理をして、バサラ技を連発したのか。疲労に苛まれた身体を圧して、三人の絡まった髪を梳き、一人一人の名を確かめたのか。

──雷蔵の名前を確かめるため……じゃあないだろうな?

 いくら似ているとはいえ、十年前では雷蔵もちんまいお子様だ。守役の可能性があるとすれば、雷蔵の親類縁者。けれどその程度の繋がりを測るためには身体を張り過ぎではないだろうか。
 八左ヱ門は目の前で見ている。雷蔵の名乗りを聞いた直後の、失望と安堵という共存しないはずの感情に揺らいだひわの顔を。
 守役の話を聞いた後のひなの反応にしても変だ。似ているだけの他人を見つけて、何故あそこまで衝撃を受けるのか──悟らせないようすぐ馬鹿騒ぎを演出したので、彼女達は彼等が違和感を覚えているのに気付いていないだろう。

──と思いたいけど、微妙か。兵助達は多少距離を詰めたようだけど。

 八左ヱ門は、別れ際のひわとの会話を思い出し顔をしかめる。

 「ひわ姐さん、俺らも名前で良いと思わない?」
  い組の二人がいつの間にか名前で呼ばれているのに気付いた三郎。自分と八左ヱ門とを指差して提案したのだが、
 「だがことわる」
 「一言かよ!」
 その前に覗かせた柔らかい微笑を何処に忘れたかという真顔でひわは却下した。

 「鉢屋は鉢屋の方が呼びやすい。竹谷は……八左ヱ門て長くて言いづらいからヤダ」
 「勘右衛門だって十分長いだろ!」
 「ちょっと!」
  槍玉に上がった勘右衛門が声をあげるが、ひわはちらっと彼を見た後、
 「長くないでしょう、勘右衛門は……そうだな。十数年後にどこかで無事に再会出来たなら考えても良いよ」
 「遅すぎだろ、どう考えても」
 「じゃあ三郎は?」
 お墨付きを貰った勘右衛門はのほほんと尋ねる。当の三郎は、肩を落とす姿勢の裏で、ひわの反応を伺っている。

 「鉢屋が何?」
 「いやあの、どのくらい経てば名前で呼ぶ気になるのかって話だろ」
  苦笑して、兵助。ひわは眉を寄せ、苦渋の顔付きになり、瞑目した。それを見たひなも何故か(彼女は最初から名前で呼んでいるのに)難しい顔をして顎に手を当てる。
 「おーい、もどってこーい」
  あまりにも間が長いので兵助は再び呼びかけた。ひわは苦い顔のまま、
 「想像もつかない。
  鉢屋は将来的な主君が大体決まってるでしょう。ある意味それに敬意を表しているってことじゃダメなの?」
「ひわ!」
 ひなは慌てたようにひわを呼んだ。

──大丈夫。
  ひわの口が音を立てずにひなへ告げた。

──大丈夫……何がだ?

 くるり、櫛の裏表をひっくり返す。
 皹が入ったのを補修した跡。着ていた衣は上質なのに、そこまでして使い続けるのは、どんな理由なのか──
 八左ヱ門が気になるのは、この櫛をどこかで見た覚えがあるからだ。
 彼女達──少なくとも、ひわは、この学園に関する何かを知っている。それでいて、隠している。先生方がそれに気付かないはずもないのに敢えて五年生長屋に放り込み、臨時講師の役割を与えたのは……

「ただいまーつっかれたよ!」
 ガラッと戸を開けて、同室の吹田新之助が現れた。
「おー」
 八左ヱ門はおざなりに返して櫛の検分に意識を戻す。それを遮ったのは、ひょこっと上から顔を覗かせた新之助だった。
「なんだよー、やっと実習から戻ったルームメイトにそっけなさ過ぎだろ!」
 言って、八左ヱ門の持つ櫛に目を留める。
「あれ? 何でハチが佐助先輩の櫛持ってんだ?」
「は?」
「は? て何だよ! なんか随分ぼろくなってるけど、それ、左助先輩が実習で使ってた櫛だろ? もしかして、俺がいない間に先輩来てたのかっ?
「うわっ、待て! 来てない来てない!」
 クワッと迫られ、八左ヱ門はゴロゴロ転がって新之助から逃れる。慌てて言い足せば、じゃあ何でそれを持っているのかとジト目を向けられる。
 八左ヱ門は新之助から十分な距離を取ってから睨み返した。

「つか、何で新が佐助先輩にこだわんだよ!」
「実習んときにイロイロ迷惑かけたのに、礼言う暇なく卒業しちまったんだもん! 利吉さんは卒業してからもよく来てくれるけど、佐助先輩は全然だろっ、やっと礼言えると思ったのに!」
「お、おーそうか」
 熱く語る新之助に八左ヱ門は引いた。眼に気迫が籠り過ぎて怖い。豆腐小僧の豆腐語りならもう慣れたが、同室五年目にして初めて目の当たりにする迫力だ。

 実習とはいえ、命を預け合うこの環境では、たまにこうして先輩や同輩への崇拝者が現れる。
 互いが学内にいる間は良い。けれど卒業してからも引きずるようだと、忍としては致命的だ。
 崇拝する相手と戦場で遭遇したら──佐助が新之助に顔を合わせないまま卒業したのも、それを懸念したからかもしれない。

 新之助は膨れっ面で八左ヱ門を睨む。
「で、何でハチがそれ持ってんの?」
「拾った。…………なあ、三年ろ組の四條畷先生って左助先輩の就職先知ってると思うか?」
「知ってるだろうけど聞いても無駄だよ」
 迷った上に新之助に尋ねるが、その前の答えが端的過ぎたからか返答は冷たい。
 そして何より、既に確認済みであることに八左ヱ門は戦いた。

 思い浮かべるのは、この櫛の所有者。
 疑わしさは拭えなくとも、新之助の八つ当たりに遭わせるのは気の毒に思えた。

「いや、そういや知らないなと思っただけなんだ。俺兵助に本借りるの忘れてたからちょっと行ってくるな」
 八左ヱ門は引き攣った笑みで新之助に告げると、じりじり出口へとにじり寄った。
「ハチ?」
「あと、小林先生が、戻ったら体育委員の壊した花壇の修繕で相談したいって!」
「まーた七松先輩かよ!」
 それは本当に今まで忘れていた伝言だった。けれどそのおかげで新之助の崇拝モードが解除され、八左ヱ門は寸でのところで追求を逃れたのだった。

 吹田新之助──緑化委員会委員長代行。

「で、俺らんとこ逃げてきたわけね」
 八左ヱ門が自室での出来事を伝えると、兵助は苦笑混じりの相槌を打った。
「新之助が佐助先輩に傾倒してるのは知ってたけどさー、三木ヱ門が照星さんに憧れてるようなもんだと思ってたよ」
 兵法書をパラパラとめくりながら、勘右衛門。
「田村の傾倒ぶりも相当だけどよ、新之助、あいつ佐助先輩の就職先判ったら、それが何処だろうと追っかけ就活やりかねん勢いだったぞ」
「まさか。大袈裟すぎじゃないか?」
「大袈裟なもんか! 佐助先輩の事問い詰めてくるときのあいつの目、マジヤバかったんだからな!」
「ほんじゃさ、佐助先輩仕えてる殿様が気に食わなかったら闇討ちで城潰そうとするとか?」
「今のあいつならマジでやる」
 八左ヱ門の断言に、兵助と勘右衛門は顔を見合わせた。

 それはあまりにも行き過ぎではないか──?

「けど、今までそんなそぶりなかったんだろ?」
「そもそも俺に佐助先輩との接点がねーよ。話出なきゃ知りようねぇだろ」
「佐助先輩は用具だったっけ」
「きっかけがなけりゃ表に出てこない執着、なぁ……で、これがきっかけ?」
 兵助は櫛の歯を爪で弾いた。
 ぺん、と間抜けな音が三人の真ん中に落ちる。
「確かに佐助先輩が女装の小道具にしてた櫛と似てる、気はする」
「でもそれにしちゃあ年季が入りすぎてない?」
 反対側から櫛を眺める勘右衛門。
「まあな。そう珍しいもんじゃないし、普通に考えりゃ偶然だろ。ただ、あいつらの素性が判らないからな。単純に無関係で切っても良いのかどうか……」
 八左ヱ門は腕組みした。

 櫛に見覚えがあったのは、新之助や兵助の言う通り、佐助が使っていたものと似ているからだろう。実習で使う程度の櫛だから、大した値打ちものでもなく、「似たようなもの」ならいくらでもありそうだ。けれど、それをバサラ者であるひわが持っていた──学園に持ち込んだというのは、何か裏があるのではないかと疑いたくもなる。
 卒業生である上月佐助がバサラ者であることは、接点の薄い八左ヱ門でも知っている。

「四條畷先生に聞くだけ聞いてみたら? 就職先教えてもらえなくても、櫛の事なら確認してもらえるかもしれないし」
「やっぱそれしかないか」
 勘右衛門の言葉に、八左ヱ門は溜息をついて肩を落とした。

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「あ、来た来た」

 三郎の灯した灯明に先導されてひな達が食堂にたどり着くと、入り口から顔をのぞかせた勘右衛門がほっとしたような笑顔で迎えた。

「あんまり遅いから見に行こうかと思ってたんだよ。三郎が何か迷惑かけなかった?」
「「…………」」
 示し合せずともひなとひわは揃って無言で三郎を見つめる。

「失礼な奴だな! ていうかひなちゃんもひわ姐さんもその視線は何?!」
「やっぱり僕が迎えに行った方が良かった……」
「あー、ははははは」
 肩を落とす雷蔵の横で兵助が苦笑いする。流石に可哀相になって、ひなは三郎を弁護する。

「長屋を案内していただきながら来たので時間がかかったんですよ」
「ま、騒ぎを起こしたんじゃなけりゃ何でも良いさ──ってあんたなんでそんなじゃらじゃらしてるんだよ?!」
 目を剥いた八左ヱ門が見たのはひわだった。
 彼の声に釣られて彼女を見た勘右衛門達もひきつった顔をする。

 じゃらじゃら──確かにその形容が似合う首飾り。ひわは保健室では外していた装身具を全て身に着けて食堂に来ていた。
 ひなは取り敢えず巾着に入れて持ち運んでいるが、表だって身に着けてはいない。
 ひわは億劫そうに髪を掻き上げ、八左ヱ門と兵助、雷蔵の順に見てから口を開く。

「今はこっちの方が楽だから」
「は?」

「まあまあ、いいじゃん。とりあえず座って座って、食べながらでも話はできるんだしさ」
 怪訝な顔の八左ヱ門をとりなして、勘右衛門が三郎達を空き席に促した。
 食堂の中には他の五年生の姿はない。ひなとひわはそれぞれであたりを確かめてから、勘右衛門の勧めに従った。

 今日の献立は豆腐の味噌汁と、油揚げと大根の煮つけだ。
 全員が着席したところで、兵助の号令で食事が始まる。

「「「「「「「いただきます」」」」」」」

 食べながら、と勘右衛門は言ったが、いざ箸を手にすると食べ盛りの少年達は食事を掻き込むことにより重きを置いた。つまりは、無言。
 ひなとひわは彼らの様を目にして何とも言えない表情になり、互いが同じ顔になっているのに気付くと、どちらからともなく味噌汁の椀に口をつけた。

「……あ」
流石ね……」

「流石って?」
 早くも味噌汁のお代わりをよそってきた兵助がひわに聞き返す。その後ろから八左ヱ門が「兵助お前具の豆腐とりすぎ!」と文句を言ってきた。
 ひわは箸ですくい上げた不揃いな豆腐の塊を口に押し込んで咀嚼、嚥下してから兵助に応じる。

「この年できちんと味の整った味噌汁を作れるのが流石」
「そりゃ、五年もやってればね」
「それはいいんだが雷蔵が作ると豆腐がやたらと歪なんだよな」
「雷蔵君は庖丁を使わず、木杓子で掬っているんじゃないですか?」
「ああ、うん。なんだか面倒で」
 八左ヱ門の愚痴にひなが尋ねると、雷蔵の苦笑が返った。
「面倒って、おまえなぁぁ!」
「まあまあ、豆腐ならまだいいじゃん。この大根に比べたら!」
「あ、ごめん……」
 笑顔の勘右衛門に赤面する雷蔵。
「今日は味付けを全部三郎に任せたから、僕はひたすら具材を切ってただけなんだ」
「そんなこったろうと思ったぜ」
 八左ヱ門は大仰に息を吐く。三郎も苦笑して、
「二人にいきなり大味の飯を食わせるのは拙いだろうって気を遣ったんだよな」
「三郎!」
一気ににぎやかになった。

 大騒ぎする少年達を余所に、ひなとひわは黙々と箸を進める。
 本当は、ひなが声をあげたわけも、ひわが流石と言ったわけも他にあったのだ。ひなはそれが気になって、早く部屋に戻ってしまいたかった。

「竹谷、久々知──」
 箸を置いたひわは、ぎゃんぎゃん騒ぐ八左ヱ門とマイペースに茶を飲んでいる兵助を小さな声で呼んだ。

「あ?」
「うん?」
 二人が振り返ると、ついでとばかりに他の声も止んでひわに視線が集中する。ひわは眉を寄せたが、そのまま言葉を続けた。

「さっきはいろいろと世話をかけて……いや、助かったから、ありがとう」
「「──?!」」

「あー、ホントに二人名指しで言った! 勘右衛門はともかく俺とか雷蔵だっていろいろ頑張ったのに!」
 虚を突かれた二人の向かいの席で口をとがらせて突っ伏す三郎。誰の目にもはっきりと拗ねた「ポーズ」だとわかる言動だが、勘右衛門にしてみれば納得がいかない。

「僕はともかくって酷くない?!」
「尾浜も、さっきは余裕がなかったら済まない。鉢屋には勿論ひなさん共々感謝してるよ?」
 ひなも彼女に同意するように首を縦に振った。
「皆さんにいろいろ気を遣ってもらって、助かっています」

「そんな、気にしないでよ、ね? ねえみんな?」
「ああ──あんだけばっさりやられた後で却って気持ち悪ぃ」
「ハチ、こら、もう!」
 三郎は勘右衛門達がまた騒ぎだす下で突っ伏したまま、ちろりとひわを見遣った。
 ツンツン娘二人の僅かなデレに盛り上がっている三人は忘れているようだが、今のひわの台詞には欠けているところがある。
 盛り上がりのきっかけを作ったひなにしても、ひわの意図を気にして、その横顔と空の食器の間に視線を彷徨わせている。

「あ、えーと、食器は今洗いに行くから気にしなくていいよ?」
 どちらかといえば三郎とひなの空気に居心地の悪さを覚えたらしい雷蔵が、少々強張った笑みで言い出した。
「いや、そこでお前が抜けたらダメだって!」
 三郎は小声で言って雷蔵の服を引っ張る。
「え? でも」
「でもも何もないだろー。ひわ姐さんツンでもデレでもいいから早いとこ済ませちゃって?」
「わけわからないこと言わない」
 促されたひわはむっとするが、ひなにも三郎にもはっきりわかる──照れていると。
 ひわは微かに頬を上気させ、視線を彷徨わせながら小さな声で言った。

「その……雷蔵、心配かけてごめんなさい」

「デレだ!」
「かんっぜんにデレだ!」
「すごいデレてるよ!! 信じられん!」

 瞬間、兵助を始めとする三人はずささささっと身を引いて、一か所でひそひそとささやき合った。
 直後、報復に対して身構えるのが彼等の日常を伺わせる。けれどひわはむすっとして彼等を睨むばかりで、代わりに雷蔵が失礼だと三人を怒鳴った。
 勿論、彼等のからかいの標的がその瞬間雷蔵に移ったのは、言うまでもない。

「…………」
 いつもならばからかいの輪に入っているはずの三郎は、何かいいたげな視線をひわに送った。
 ひわはそれも黙殺する。

「だいたい雷蔵一人だけ名前呼びされてるしなー?」
「「なー?」」
「たまたまだよ、たまたま!」
 息を合わせる三人に、顔を赤くした雷蔵は反論するが、

「ひわ姐さん」
「……何」
「保健委員長は?」
「善法寺でしょう?」
「起きて最初に会ったのは?」
「…………三反田」
「じゃあ──」
「三郎君」
雷蔵をからかうためと言うより、何かを確かめるようにひわに問い掛ける三郎を、ひなは遮った。
 他の三人はまだからかっているだけだから良い。けれど三郎は目が笑っていない。

「どうしてひわさんはひわ「姐」なの?」
 三郎の目がひなに移った。
 話を反らそうとしているのはばれているだろう。
 微妙な緊張状態は、じゃれていた四人にもすぐに伝わる。

「そーいやそうだよな」
 ぽん、と兵助の打った手が、その場の空気を軽くした。

「まあ、気持ちはわかるけどね」
「え? なんで?」
 雷蔵が勘右衛門に聞き返したのは、本心なのだろうがこの場合は自爆と言える。
「雷蔵」
「お前はいーんだよ、お前は!」
「最初の挨拶が三郎にはだいぶ効いたみたいだしなぁ」
 勘右衛門はのほほんと言う。ガシガシと頭を掻いた八左ヱ門が、逆の手でひわを指差した。

「あの眉間に皺か無表情で、気にしてるところ指摘されてみろ! しかもそれをオブラートに包んで敢えて気にするなとか言われた日には、ごめんなさいと謝りたくなって来るだろう!」
「その割にハチも噛み付きまくるけどね」
「こらこら、人の心情捏造するな」
 兵助と三郎からツッコミが入る。指を突き付けられたひわはまた眉をひそめていたが、その言い合いに参加する気はないようだ。

 ひなはひわの表情を伺いながら、彼等の騒動をいつくぐり抜けようかと考える。

「だがしかしっ! 雷蔵、お前個人にはあの冷たく凍えた、作法委員会委員長、立花仙蔵先輩ばりの視線を向けられたことはない筈だっ!」

「あ! そうか立花先輩だ。ハチ良く気付いたな」
 暢気な勘右衛門の合いの手に兵助は苦笑するが、素早く件の先輩の顔に作り替えた三郎は真面目な顔を作って八左ヱ門に告げる。

「八左ヱ門が私のことをどう思っているのか良く解ったよ。後を楽しみにしてくれたまえ」
「三郎っ!」
「だいたい自分がモテないからと妙齢の女性を無遠慮に指差すのは失礼だよ?」
「その顔で言われるとすっごいムカつくなあ!」
 歯がみする八左ヱ門。矛先が少し逸れてほっとした雷蔵にも、三郎の口撃は続く。
「雷蔵も、女性からアプローチをかけられたときのあしらいがなっていないな。応えるか断るか……利用するのまでは期待しないが、進退ははっきりするべきだろう」
「ええっ?」

「いい加減にしな」
「おっと!」
 三郎は寸でのところでひわの拳を避けた。
 それからしてやったりの表情で、元の雷蔵と同じ顔に戻す。
「ひわ姐さんのそれは照れ隠し?」
 ニヤリと笑う三郎の隣で視線をあちこちにさ迷わせている雷蔵。どの級友を見てもからかいの目をしているので、困ってしまっている。

 ひなはひわを盗み見た。
 まさか本当に照れ隠しだとはひなも思ってはいないけれど、雷蔵に対する扱いだけが違うのは確かだ。もしかしたら──とひなが思うことはある。それを聞きたくて早く部屋に戻りたいと思っていたのだ。ひわは一体、どんな切り返しをするつもりなのか──

 ひなにまでじっと見られて、ひわは内心で舌打ちした。

「……雷蔵は、世話になった知り合いに雰囲気が良く似てるのよ」

「それだけ?」
 些か拍子抜けした勘右衛門。兵助は、
「馬鹿だな、特別なヒトにそっくりってことだろ」
「あ、そっか」
「あ、そっかじゃないだろ」
勘右衛門に裏拳で突っ込む八左ヱ門。
 三人のやり取りを無視してひわは続けた。

「十年近く前の事だから、ひなはよく覚えていないみたいだけど、私達の守役の一人だったから、ある意味特別でしょうね」
「え?」
 ひなは思わず雷蔵を凝視した。
 話の流れからそれは自然なことで、ひなの反応を見て三郎は肩の力を抜いたようだった。
 けれどひなは彼等の反応に頓着する余裕はなかった。

──十年前、の、守役……雷蔵……

 記憶にノイズがかかっているのは、幼かったからではなく、降り懸かった現実をどこかで認められずにいた代償だ。ひなは人の顔と名前がなかなか覚えられなかった。
 その頃に守役として付いていたのは、基本的に草のものと呼ばれる忍。その頭領の年齢を思えば、「今」この場所で忍術を学んでいる少年が「そう」だったとしても不思議はない。

 そして、同盟のために奥州に移ったひなと違って、留まったひわは彼等と長い時間を──深い信頼関係を結んでいる。仲間を見間違えるはずも、冷たく突き放すこともできるはずはなかった。

「確かに雷蔵なら良い守役になりそうだ」
「大雑把とか迷い癖さえなけりゃね」
「ていうか図書委員じゃ間違いなくお守り役だろ?」
「だよなー」
 言葉の裏を知らない少年達が、三つ四つのお子様を想像して言い合うのは仕方がない。むしろひわならわざとそう思わせるように言ったのだろう。

 友人達の、「よっ保父さん」という生温い笑みに逆らって、
「それ言ったらハチも兵助も委員長代理で後輩の面倒よく見てるじゃないか!」
「それとこれとは話が違うだろ」
「うちはホラ、むしろ二年の三郎次がしっかりしてるし、後輩といってもタカ丸さん年上だろ?」
「ハチが面倒見てるのは毒虫だもんなあ」
雷蔵の指摘は揃って却下された。勘右衛門の言葉に八左ヱ門は
「ほっとけ」
と顔を背ける。

「一度飼いはじめたからには最後まで面倒を見るのが人として当然だろう!」
「三郎!」
 三郎がまた八左ヱ門の顔を作って格好つけるので、真似された方は身を乗り出して彼を怒鳴り付ける。
 三郎は素早くまた別の顔を作った。
 ふざける三郎を止めるのは、こうなると同じクラスの二人の役目になる。

 ドタバタ騒ぐろ組の会話をBGMに、勘右衛門はこそっとひなとひわに近づいた。
「二人が雷蔵に打ち解けやすかったのはわかったけどさ、僕らにももっと気楽に接してくれたら嬉しいんだけどな」
「そーそー。講師やるなら贔屓はまずいだろ?」
 二人の後ろからは兵助が。騒ぎを放置して皆の食器を集めて回る。
 ひなとひわは目を瞬かせた。

「知っていたんですか」
「俺、火薬委員会委員長代理。コイツは五のいの学級委員長」
 ニヤッと笑って兵助が告げれば、ひょい、と彼の持つ食器の上に椀を重ねて、勘右衛門がろ組を指差す。
「ついでに、ろ組の学級委員長が三郎。八左ヱ門は生物委員会の委員長代理ね」

「コラ、勘右衛門かさねすぎ!」
「各所属の代表者には先生方から話が伝えられたんだ。
 大丈夫、兵助なら運べる!」
 勘右衛門は無責任に兵助を励まして、更に皿を重ねた。
 ひなはそれが気になって仕方がない。

「…………

 …………

(少なくとも、この二人は知らない)


 ……善処する」

 長考の後、ひわは頷いた。

「勘右衛門、さすがにそれは無理でしょう。兵助、崩れる前にそっち貸して」
「へ?」
「見てる方がハラハラするから。気楽にするのと全部甘えるのは違うでしょう?」
 ひなは勘右衛門が兵助に押し付けようとした湯呑みを横から抜き取った。
 それに同意を見せて、今にもバランスを崩しそうな兵助の手から三割程度の食器を奪い取るひわ。

 兵助が間抜けた声をあげたのは、だがそれら手出しによるものではなく、
「あれ、ひわさん今名前……」
同じように驚く勘右衛門に奪い取った食器を押し付け、ひわは兵助から残りの食器の概ね半分を取り上げる。

「勘右衛門、洗い場はどこ?」
「えっと、あー、こっち……
 じゃなくて!」
 勘右衛門は先に立って歩きだし、すぐに足を止める。彼のノリツッコミに、攻防を続けていたろ組の三人も何事かと振り返った。

「ってか、あんたさっきまで寝込んでいた奴が何やってんだ!」
 真っ先に反応したのは八左ヱ門。速攻でひわから食器を奪い取り、
「兵助、勘右衛門、お前らも気付け!」
い組の二人を怒鳴り付ける。二人は「あ……」と冷や汗を流した。
「悪い、忘れてた」
「うん、ごめん」
「自分だって忘れてたのによく言うよ」
「三郎っ!」
 ボソッと呟く三郎に食ってかかる八左ヱ門を、慌てて雷蔵が押さえ付ける。バツが悪そうな勘右衛門と兵助に、ひわは気にするなと首を振った。

 溜息をついたのはひなだ。

「人が悪いですよ、三郎君」
「鉢屋には先に話していた筈なんだけど」
「え?」
「ひわ姐さんが倒れたのは、場所と気が馴染む前に装具無しでバサラ技を連発したからなんだってさ。今は装具着けてるし、休んで気も調ったから、普通にしてる分には問題無し」

「何だよそれ」
 八左ヱ門は拍子抜けした顔をした。
 兵助も脱力した笑みを浮かべ、

「もしかして、さっき「こっちの方が今は楽」って言ったのは、このことだったり?」
「そう。だから勘右衛門も兵助も気にしないで良いよ」
「本当に無理なことならあたしが止めていますから」
「そっか。でも今日は僕らで片付けるよ、気が利かなくて御免ねー」
二人の肯定に、勘右衛門がほっとした笑みでひなの分の食器を取り上げた。

「済まない、助かるよ」
「ありがとうございます」
 ほわほわした彼等の表情にほだされ、つい、ひなとひわの顔に微かな笑みが浮かんだ。

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