管理サイトの更新履歴と思いつきネタや覚書の倉庫。一応サイト分けているのに更新履歴はひとまとめというざっくり感。
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結局ひな達と一緒に食堂を出ることになった留三郎は、釈然としない表情で彼女達を見下ろした。
それぞれの教室へ向かった五年生。彼等とのやり取りは気安く、たった一日で随分馴染んでいるのがまず一点。
初っ端からバサラ技で諌められた留三郎には、ひなをちゃん付けする五年生の感性が理解できない。そしてそれをひなもひわも受け入れているのが、意外だ。
留三郎だけが残ると、あからさまな程ではないが二人の纏う空気が固くなった。彼には間違ってもひなやひわの手を無理矢理引っつかむような真似はできそうにない。
「じゃあ、こっちだ」
留三郎は指で方角を指し示し、二人へ移動を促した。
二人は黙々とついてくる。時折ひわが首を巡らすのは、敷地内の位置関係を確かめているからだろう。ひなはその横を真っ直ぐ歩いている。
後ろに気を取られていると足元が疎かになるので、常に伺うわけにも行かないが、ひなが罠──落とし穴等に踏み込もうとすると、ひわが袖を引いてそれを止める。ひわ自身が罠を発動させることもない。
留三郎がひわのバサラ技を見たことはないが、純粋に立ち居振る舞いを見ると、彼女はバサラ者というよりくのいちと言われた方が近い。だからだろうか、彼女の警戒を認識しやすいのは。一方ひなは、本当に何を考えているのか計り知れなくて苦手だった。
「あー、そういえば、二人とも昨日はあの長屋できちんと眠れたのか?」
留三郎は気まずさを押しのけるように尋ねる。
五年生とあれだけ打ち解けていたからには問題はないのだろうが。
「……まあ、布団なしで眠るのにも慣れていますから」
「は?」
まさかのひなからの回答に、留三郎は足を止めて振り返った。
ひわは遅れることなく足を止め、ひなもそれに倣って立ち止まる。
二人とも、昨日と同じ表情に乏しい顔つきで、冗談を言っているようには見えない。
「なんで布団がないんだ?」
「普通、それを聞きたいのはこちらの方だと思いますが」
「あ、いやそれもそうだ。久々知も備品がそろってない部屋だと言っていたな。けど布団ぐらいあった筈だが……」
留三郎は眉を顰めた。
しまいっぱなしの布団が使用に耐えうる状況化はともかくとして、各部屋には二組ずつ布団が備わっている筈だった。わざわざ使っていない部屋の布団を持ち出す訳が分からない。
「今ここでそれを言っても仕方がないことでしょう。それより──」
実にもっともな指摘を入れたひなが、言いかけた言葉を止めて口をつぐんだ。
どどどどどどどど
文字に起こすとすればそうとしか表現できない物音が、こちらに向かって急接近したためだ。
「うげっ!」
留三郎は頬を引き攣らせて迫りくる土埃を見る。それからひなとひわに視線を移し──賞賛すべき判断力で校舎の壁沿いに退避していたので、再び土埃の主に視線を戻した。
「留三郎おぅぉぅぉぅ~!」
ご丁寧に彼の名を叫びながら猛スピードでやってくる、小平太。ややこしいことになりそうだと留三郎は頭を押さえる。
「なあ留三郎聞いたかっ?!」
きゅきぃぃぃぃっとその目の前で急ブレーキをかけた小平太は、満面の笑みで勝手にしゃべり始めた。
「五のいの竹谷八左ヱ門が学園に女連れ込んでいきなりプロポーズしたんだと!」
「はあ?!」
「なんかこう、いきなりがしっと手をひっつかんで、「さっさと俺の気持ち受け取れよ」ってやったらしいぜ」
言いながら、小平太は実際に留三郎の手を握って見せる。力加減されないせいで、骨がみしっと音を立てた。
留三郎は力いっぱいに小平太の手を振り払う。
「余計な身振りはいらんっ! 痛いだろうが手を離せっ!」
「大袈裟なやつだなっ」
「それはこっちの台詞だっだいたい、どっからそんな話仕入れてきたんだっ?!」
痛む手にふうふう息を吹きかけながら、ふり払われた手に不満げな小平太に突っ込むと、
「そこらで塹壕掘ってたら、二年坊が興奮して話してるのが聞こえたんだ」
「そうか、また無駄に俺たちの仕事を増やしたな?」
「何言ってる、塹壕は野戦の実習の基本だろ!」
「なんだと?!」
「──食満殿」
つかみ合いに発展しそうなところで、静かなひなの声が飛んだ。
留三郎はぎくりと肩を強張らせる。
小平太はそれでようやく、留三郎の近くに二人がいることに気付いた。
「そーいや留三郎、こんなところで何やってるんだ? どしたの? この子達」
「……保健室で説明受けただろうが! 三、四年の訓練中に落下してきた二人組だ! 俺ぁ案内頼まれたんだよ!」
ぽへ、と気の抜けた顔で首をかしげる小平太に、留三郎の米神に血管が浮き上がった。
小平太はさらに首を捻り、間をおいてからぽん、と手を叩いた。
「おー。そういや元気になったんだってな!」
にかっと笑い、ふるふる震える留三郎は横に置いて、
「俺は六年ろ組七松小平太! 花形の体育委員会委員長だ、よろしくな!」
「ろくろ……?」
「そう略す時もあるな! なあ、伊作から聞いてるけど、改めて名前聞いてもいいか?」
勝手に自己紹介タイムに入る。勢いに引いたのか、ひわはひなの袖をギュッと握り、呆然とした顔で小平太を見ている。訳もなくどうでもよさげな所属クラスだけを繰り返すあたり、混乱していると留三郎は思った。
「ひなです。こちらはひわ」
半歩だけ前に出たひなが、二人分まとめて応えた。
珍しく彼女の目にも困惑の色が浮かんでいる。
「あの、七松君」
「ん? こへーたでいいって。二人とも講師やるんだろ?」
「じゃあ、小平太君」
──んん~?!
留三郎は目を剥いた。
留三郎は未だに「食満殿」なのに、小平太は初めから「七松君」で、あっさりと「小平太君」と呼び換えられた。 頑なな言葉遣いも、心なしか留三郎に対するよりもやわらかいような気がする。
ひなは呼び掛けておいてから、少し迷うようにひわを見た。
ひわの首が、かすかに上下に動かされる。
「……ご実家は、信濃の海野家と何か御関係が?」
「んー? あーまあ、あるっちゃあるのかな。遠縁過ぎて就職口にもならんので俺は忍者を目指すことにしたんだけどな」
小平太は眉を寄せて少し考えてから、結局あっけらかんと言った。
「でもなんで?」
「前に自慢げにそう言っていた知人とよく似ていたので、血筋かと」
「へえ、二人とも顔が広いんだなっ」
「旅を──していたから」
ひなから話を引き継いだひわはそう応え、ふっとわずかに苦笑の形に口元を緩める。
初めて二人と話す小平太は、何の引っ掛かりも感じずに、
「女の子二人で旅ってスゲーよな! やっぱ腕に覚えありって奴か?」
「さあ? 逃げ足が速いだけかもしれないでしょ」
「そいつぁいいや!」
あっはっはと楽しそうに笑った。
「あー、そろそろ良いか?」
和やかな会話の中を割って入るのも勇気が要ったが、留三郎は恐る恐る口を挟んだ。
ぐずぐずしていては、あっという間に昼になってしまう。吉野先生から頼まれていたのは、「朝食後に」二人を連れて来いということだったのに。だが、
「何だ留三郎、混じりたいならそういえよ」
からかうような小平太。
「何の話だ! 案内中だと言ったのをもう忘れたのか鳥頭」
「はい、そこまで」
言い争いを始めそうな二人の間に、黒っぽい何かが差し入れられた。
一見すると、漆塗りの檜扇。けれどその素材は上質の黒鉄で、透かし等雅な装飾でありながら立派な凶器である。
「──小平太、取り敢えず用事があるから、また後で時間が合ったら話そう。
食満、敢えて喧嘩腰になる意味がわからないんだけど?」
ひわに言われて、留三郎と小平太は扇越しに顔を見合わせた。
留三郎に絡んでいただけの小平太はあっさり引き下がり、
「じゃあ、後でなっ」
「あ、おう」
気を削がれた留三郎も肩の力を抜く。
二人の距離が離れたのを見て、ひわは扇を引っ込めた。
それぞれの教室へ向かった五年生。彼等とのやり取りは気安く、たった一日で随分馴染んでいるのがまず一点。
初っ端からバサラ技で諌められた留三郎には、ひなをちゃん付けする五年生の感性が理解できない。そしてそれをひなもひわも受け入れているのが、意外だ。
留三郎だけが残ると、あからさまな程ではないが二人の纏う空気が固くなった。彼には間違ってもひなやひわの手を無理矢理引っつかむような真似はできそうにない。
「じゃあ、こっちだ」
留三郎は指で方角を指し示し、二人へ移動を促した。
二人は黙々とついてくる。時折ひわが首を巡らすのは、敷地内の位置関係を確かめているからだろう。ひなはその横を真っ直ぐ歩いている。
後ろに気を取られていると足元が疎かになるので、常に伺うわけにも行かないが、ひなが罠──落とし穴等に踏み込もうとすると、ひわが袖を引いてそれを止める。ひわ自身が罠を発動させることもない。
留三郎がひわのバサラ技を見たことはないが、純粋に立ち居振る舞いを見ると、彼女はバサラ者というよりくのいちと言われた方が近い。だからだろうか、彼女の警戒を認識しやすいのは。一方ひなは、本当に何を考えているのか計り知れなくて苦手だった。
「あー、そういえば、二人とも昨日はあの長屋できちんと眠れたのか?」
留三郎は気まずさを押しのけるように尋ねる。
五年生とあれだけ打ち解けていたからには問題はないのだろうが。
「……まあ、布団なしで眠るのにも慣れていますから」
「は?」
まさかのひなからの回答に、留三郎は足を止めて振り返った。
ひわは遅れることなく足を止め、ひなもそれに倣って立ち止まる。
二人とも、昨日と同じ表情に乏しい顔つきで、冗談を言っているようには見えない。
「なんで布団がないんだ?」
「普通、それを聞きたいのはこちらの方だと思いますが」
「あ、いやそれもそうだ。久々知も備品がそろってない部屋だと言っていたな。けど布団ぐらいあった筈だが……」
留三郎は眉を顰めた。
しまいっぱなしの布団が使用に耐えうる状況化はともかくとして、各部屋には二組ずつ布団が備わっている筈だった。わざわざ使っていない部屋の布団を持ち出す訳が分からない。
「今ここでそれを言っても仕方がないことでしょう。それより──」
実にもっともな指摘を入れたひなが、言いかけた言葉を止めて口をつぐんだ。
どどどどどどどど
文字に起こすとすればそうとしか表現できない物音が、こちらに向かって急接近したためだ。
「うげっ!」
留三郎は頬を引き攣らせて迫りくる土埃を見る。それからひなとひわに視線を移し──賞賛すべき判断力で校舎の壁沿いに退避していたので、再び土埃の主に視線を戻した。
「留三郎おぅぉぅぉぅ~!」
ご丁寧に彼の名を叫びながら猛スピードでやってくる、小平太。ややこしいことになりそうだと留三郎は頭を押さえる。
「なあ留三郎聞いたかっ?!」
きゅきぃぃぃぃっとその目の前で急ブレーキをかけた小平太は、満面の笑みで勝手にしゃべり始めた。
「五のいの竹谷八左ヱ門が学園に女連れ込んでいきなりプロポーズしたんだと!」
「はあ?!」
「なんかこう、いきなりがしっと手をひっつかんで、「さっさと俺の気持ち受け取れよ」ってやったらしいぜ」
言いながら、小平太は実際に留三郎の手を握って見せる。力加減されないせいで、骨がみしっと音を立てた。
留三郎は力いっぱいに小平太の手を振り払う。
「余計な身振りはいらんっ! 痛いだろうが手を離せっ!」
「大袈裟なやつだなっ」
「それはこっちの台詞だっだいたい、どっからそんな話仕入れてきたんだっ?!」
痛む手にふうふう息を吹きかけながら、ふり払われた手に不満げな小平太に突っ込むと、
「そこらで塹壕掘ってたら、二年坊が興奮して話してるのが聞こえたんだ」
「そうか、また無駄に俺たちの仕事を増やしたな?」
「何言ってる、塹壕は野戦の実習の基本だろ!」
「なんだと?!」
「──食満殿」
つかみ合いに発展しそうなところで、静かなひなの声が飛んだ。
留三郎はぎくりと肩を強張らせる。
小平太はそれでようやく、留三郎の近くに二人がいることに気付いた。
「そーいや留三郎、こんなところで何やってるんだ? どしたの? この子達」
「……保健室で説明受けただろうが! 三、四年の訓練中に落下してきた二人組だ! 俺ぁ案内頼まれたんだよ!」
ぽへ、と気の抜けた顔で首をかしげる小平太に、留三郎の米神に血管が浮き上がった。
小平太はさらに首を捻り、間をおいてからぽん、と手を叩いた。
「おー。そういや元気になったんだってな!」
にかっと笑い、ふるふる震える留三郎は横に置いて、
「俺は六年ろ組七松小平太! 花形の体育委員会委員長だ、よろしくな!」
「ろくろ……?」
「そう略す時もあるな! なあ、伊作から聞いてるけど、改めて名前聞いてもいいか?」
勝手に自己紹介タイムに入る。勢いに引いたのか、ひわはひなの袖をギュッと握り、呆然とした顔で小平太を見ている。訳もなくどうでもよさげな所属クラスだけを繰り返すあたり、混乱していると留三郎は思った。
「ひなです。こちらはひわ」
半歩だけ前に出たひなが、二人分まとめて応えた。
珍しく彼女の目にも困惑の色が浮かんでいる。
「あの、七松君」
「ん? こへーたでいいって。二人とも講師やるんだろ?」
「じゃあ、小平太君」
──んん~?!
留三郎は目を剥いた。
留三郎は未だに「食満殿」なのに、小平太は初めから「七松君」で、あっさりと「小平太君」と呼び換えられた。 頑なな言葉遣いも、心なしか留三郎に対するよりもやわらかいような気がする。
ひなは呼び掛けておいてから、少し迷うようにひわを見た。
ひわの首が、かすかに上下に動かされる。
「……ご実家は、信濃の海野家と何か御関係が?」
「んー? あーまあ、あるっちゃあるのかな。遠縁過ぎて就職口にもならんので俺は忍者を目指すことにしたんだけどな」
小平太は眉を寄せて少し考えてから、結局あっけらかんと言った。
「でもなんで?」
「前に自慢げにそう言っていた知人とよく似ていたので、血筋かと」
「へえ、二人とも顔が広いんだなっ」
「旅を──していたから」
ひなから話を引き継いだひわはそう応え、ふっとわずかに苦笑の形に口元を緩める。
初めて二人と話す小平太は、何の引っ掛かりも感じずに、
「女の子二人で旅ってスゲーよな! やっぱ腕に覚えありって奴か?」
「さあ? 逃げ足が速いだけかもしれないでしょ」
「そいつぁいいや!」
あっはっはと楽しそうに笑った。
「あー、そろそろ良いか?」
和やかな会話の中を割って入るのも勇気が要ったが、留三郎は恐る恐る口を挟んだ。
ぐずぐずしていては、あっという間に昼になってしまう。吉野先生から頼まれていたのは、「朝食後に」二人を連れて来いということだったのに。だが、
「何だ留三郎、混じりたいならそういえよ」
からかうような小平太。
「何の話だ! 案内中だと言ったのをもう忘れたのか鳥頭」
「はい、そこまで」
言い争いを始めそうな二人の間に、黒っぽい何かが差し入れられた。
一見すると、漆塗りの檜扇。けれどその素材は上質の黒鉄で、透かし等雅な装飾でありながら立派な凶器である。
「──小平太、取り敢えず用事があるから、また後で時間が合ったら話そう。
食満、敢えて喧嘩腰になる意味がわからないんだけど?」
ひわに言われて、留三郎と小平太は扇越しに顔を見合わせた。
留三郎に絡んでいただけの小平太はあっさり引き下がり、
「じゃあ、後でなっ」
「あ、おう」
気を削がれた留三郎も肩の力を抜く。
二人の距離が離れたのを見て、ひわは扇を引っ込めた。
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「我が──誓約の、下に……めい、めい、命、じる?」
「だから何でそこで疑問形なんだ」
「言うなよ、分かってる。けど何か言いづらくてさ」
サイジェント南スラム、旧孤児院の庭の片隅。二人の少年はそれぞれに肩を落とした。
フード付きのジャケットを着た茶髪の少年は勇人、ギザギザ模様のマントを羽織った黒髪の少年はキール。二人の周りには、どことなく二人のどちらかと共通する雰囲気の少年少女が合わせて六名、思い思いの姿勢で座り込んでいる。
「気持ちは解りますけど……噛みすぎですよ」
おっとり口調で、きっぱりダメ出しするのは綾。そのとなりでフワフワと揺れるお化けの子供のような生き物が、きゅ、と帽子の鍔を押さえなおす。更に向こうから、
「定型文を暗誦すれば良いだけだろう、変にこだわるから失敗するんじゃないか」
「そっかなー? 別に言い方なんて気にしすぎじゃない? 伝わればいーんでしょ、伝われば」
まるで反対の事を言う、籐矢と夏美。二人の前では、緑色の丸っこい物体とカプセルにアームを付けたような丸っこいロボットが、コロコロふよふよ揺れている。
「なっちゃんのは召喚術習ってる人への冒涜だと思いまーす」
手を挙げて、カシス。
「基礎を覚える以上、先ずはトウヤさんの言う通り、詠誦する呪文を暗誦することから始めては?」
「だな」
滔々と述べるクラレットに頷くソル。
口を挟む外野に、キールは多少苛立たしげな視線をくれる。
「君達は今日の練習がすんだんだろう、邪魔をするならどこかへ行ってくれ」
「詠誦、暗誦……呼びかけ……えーと……あ」
勇人はキールが身を乗り出したせいで転げ落ちた透明な召喚石に気付き、手を伸ばし──
ぶわっと魔力が膨れ上がった。
「馬鹿! 早まるな!」
キールは酷く慌てて勇人の肩を掴んだ。
「待って! 今止めちゃまずいよ!」
「皆さん下がって!」
「キール、抑えろ!」
「ハヤト!」
「……古き盟約とか、命じるとか、そんなのは取り敢えずいいっ! ここに、来てくれ! 頼む!」
勇人は強く願った。魔力の渦に翻弄される人影に手を差し延べるように、意識を凝らした。
「──くっ!」
やがて、渦巻く魔力は勇人のそれと混じり合い、彼の意志に添って一つの方向へ集約する。則ち──
ドサッ
投げ出されたのは、勇人の意識に浮かんできた通りの人影。全身が煤け、衣服のあちこちが焦げたり破けたりした若い──とは言え、勇人達よりは年上だろうと思われる女性。
「……どう、いうことだ?」
かすれた声で誰かが呟く。
「そんな……」
「召喚事故……!」
カシスとクラレットが青ざめた顔で。
「事故ぉ?!」
「無色の石から人が召喚されることはないっ! あるとすればそれは召喚事故だ!」
素っ頓狂な声を上げる夏美に、噛み付くように応じたのはソルだ。事を起こした勇人とその教師役のキールは、ピシリと固まったように女性を見下ろしている。
「ハヤト君?」
綾が気遣うように呼び掛ける。勇人はギクシャクと女性の前で膝を付き、
「あのー、もしもし? 生きてますか?」
「ハヤト!」
籐矢は咎めたが、勇人は大まじめだった。
女性の肩を叩いて呼び掛け、鼻と口の前に手を翳して呼気を確かめる──意識不明者に遭遇したときの一般的な対処法だ。
「……」
女性はぐったりとして横たわっている。その瞼の間から、涙が一筋伝い落ちた。
「大丈夫ですか? えーと、千尋さん」
勇人は石から読み取れた名で呼びかける。
すると、女性はパッチリと眼を開けた。
「アビィ!」
「うわあっ!」
勢いよく起き上がった彼女と激突しそうになって、勇人は慌ててのけ反った。
彼女は勇人には構わず、周りを忙しなく見まわす。焦燥し焦ったような彼女の様子を、周囲の仲間達は固唾を飲んで見守った。
彼女は自分を取り囲んでいるのが少年少女達ばかりであることを見、それぞれの服装や、お供に連れている召喚獣達を目にし、孤児院の崩れかけた壁や緑の茂る庭、薄曇りの空を三度程見直してから最後に勇人に視線を移した。
「……あなたが、止めてくれたの」
「え?」
「私をリィンバウムに留めてくれた、召喚主。でしょ?」
「留めてくれた? って、ええっ?!」
「ちょっと待ってください」
焦る勇人の後ろから声をかけたのは籐矢だった。
「召喚術っていうのはリィンバウムを取り巻く異世界から召喚獣を招きよせる術じゃなかったのか?」
「だから召喚事故だと言ってる! 何が起きるのかわからないんだ、リィンバウムの中から誰かを呼び寄せるだけで済んだならいっそまだましな方だ」
言い返すソル。彼の兄妹達も硬い表情で首を縦に振る。
「成程。確かに陸続きなら元の場所に帰すこともできるな」
「じゃあ、服がボロボロだったり焦げっぽい感じなのも事故のせい?」
「それは」
「っ!」
夏美が首を傾げると、女性は緩めかけた表情を一変させて周囲を見回した。
「あの子達は!」
「あの子達?」
「トリス、マグナ……! 双子の赤ちゃんはっ」
「赤ちゃん?! い、いや、俺が見た時には千尋さんの姿しかなかった、筈!」
「あぁっ!」
勇人の答えを聞いた時の彼女の絶望の表情は、筆舌に尽くし難いものがあった。
空の両手を凝視し、それから髪を振り乱し全身を掻き抱き、彼女は言葉にならない悲しみの声をあげて涙を零した。
暫く、誰も彼女に話しかけられなかった。
特に勇人は、強い自責の念に駆られて身動きすらできずに立ち尽くした。
自分の起こした召喚事故が、彼女をここまで絶望させた──儀式跡地で目覚めた時の記憶が、勇人の頭を過る。訳の分からないところに突然放り出されパニックを起こし、けれど同じ境遇の仲間が他に三人もいたから、どうにか足を踏み出すことができた。けれど彼女は一人で、抱いていた子供を一度に二人も喪った。
勇人には、彼女を襲った絶望の深さを想像することもできない。
彼女の人生を大きく狂わせてしまった。
彼らは改めて、召喚術という力の危うさを思い知らされた。
「だから何でそこで疑問形なんだ」
「言うなよ、分かってる。けど何か言いづらくてさ」
サイジェント南スラム、旧孤児院の庭の片隅。二人の少年はそれぞれに肩を落とした。
フード付きのジャケットを着た茶髪の少年は勇人、ギザギザ模様のマントを羽織った黒髪の少年はキール。二人の周りには、どことなく二人のどちらかと共通する雰囲気の少年少女が合わせて六名、思い思いの姿勢で座り込んでいる。
「気持ちは解りますけど……噛みすぎですよ」
おっとり口調で、きっぱりダメ出しするのは綾。そのとなりでフワフワと揺れるお化けの子供のような生き物が、きゅ、と帽子の鍔を押さえなおす。更に向こうから、
「定型文を暗誦すれば良いだけだろう、変にこだわるから失敗するんじゃないか」
「そっかなー? 別に言い方なんて気にしすぎじゃない? 伝わればいーんでしょ、伝われば」
まるで反対の事を言う、籐矢と夏美。二人の前では、緑色の丸っこい物体とカプセルにアームを付けたような丸っこいロボットが、コロコロふよふよ揺れている。
「なっちゃんのは召喚術習ってる人への冒涜だと思いまーす」
手を挙げて、カシス。
「基礎を覚える以上、先ずはトウヤさんの言う通り、詠誦する呪文を暗誦することから始めては?」
「だな」
滔々と述べるクラレットに頷くソル。
口を挟む外野に、キールは多少苛立たしげな視線をくれる。
「君達は今日の練習がすんだんだろう、邪魔をするならどこかへ行ってくれ」
「詠誦、暗誦……呼びかけ……えーと……あ」
勇人はキールが身を乗り出したせいで転げ落ちた透明な召喚石に気付き、手を伸ばし──
ぶわっと魔力が膨れ上がった。
「馬鹿! 早まるな!」
キールは酷く慌てて勇人の肩を掴んだ。
「待って! 今止めちゃまずいよ!」
「皆さん下がって!」
「キール、抑えろ!」
「ハヤト!」
「……古き盟約とか、命じるとか、そんなのは取り敢えずいいっ! ここに、来てくれ! 頼む!」
勇人は強く願った。魔力の渦に翻弄される人影に手を差し延べるように、意識を凝らした。
「──くっ!」
やがて、渦巻く魔力は勇人のそれと混じり合い、彼の意志に添って一つの方向へ集約する。則ち──
ドサッ
投げ出されたのは、勇人の意識に浮かんできた通りの人影。全身が煤け、衣服のあちこちが焦げたり破けたりした若い──とは言え、勇人達よりは年上だろうと思われる女性。
「……どう、いうことだ?」
かすれた声で誰かが呟く。
「そんな……」
「召喚事故……!」
カシスとクラレットが青ざめた顔で。
「事故ぉ?!」
「無色の石から人が召喚されることはないっ! あるとすればそれは召喚事故だ!」
素っ頓狂な声を上げる夏美に、噛み付くように応じたのはソルだ。事を起こした勇人とその教師役のキールは、ピシリと固まったように女性を見下ろしている。
「ハヤト君?」
綾が気遣うように呼び掛ける。勇人はギクシャクと女性の前で膝を付き、
「あのー、もしもし? 生きてますか?」
「ハヤト!」
籐矢は咎めたが、勇人は大まじめだった。
女性の肩を叩いて呼び掛け、鼻と口の前に手を翳して呼気を確かめる──意識不明者に遭遇したときの一般的な対処法だ。
「……」
女性はぐったりとして横たわっている。その瞼の間から、涙が一筋伝い落ちた。
「大丈夫ですか? えーと、千尋さん」
勇人は石から読み取れた名で呼びかける。
すると、女性はパッチリと眼を開けた。
「アビィ!」
「うわあっ!」
勢いよく起き上がった彼女と激突しそうになって、勇人は慌ててのけ反った。
彼女は勇人には構わず、周りを忙しなく見まわす。焦燥し焦ったような彼女の様子を、周囲の仲間達は固唾を飲んで見守った。
彼女は自分を取り囲んでいるのが少年少女達ばかりであることを見、それぞれの服装や、お供に連れている召喚獣達を目にし、孤児院の崩れかけた壁や緑の茂る庭、薄曇りの空を三度程見直してから最後に勇人に視線を移した。
「……あなたが、止めてくれたの」
「え?」
「私をリィンバウムに留めてくれた、召喚主。でしょ?」
「留めてくれた? って、ええっ?!」
「ちょっと待ってください」
焦る勇人の後ろから声をかけたのは籐矢だった。
「召喚術っていうのはリィンバウムを取り巻く異世界から召喚獣を招きよせる術じゃなかったのか?」
「だから召喚事故だと言ってる! 何が起きるのかわからないんだ、リィンバウムの中から誰かを呼び寄せるだけで済んだならいっそまだましな方だ」
言い返すソル。彼の兄妹達も硬い表情で首を縦に振る。
「成程。確かに陸続きなら元の場所に帰すこともできるな」
「じゃあ、服がボロボロだったり焦げっぽい感じなのも事故のせい?」
「それは」
「っ!」
夏美が首を傾げると、女性は緩めかけた表情を一変させて周囲を見回した。
「あの子達は!」
「あの子達?」
「トリス、マグナ……! 双子の赤ちゃんはっ」
「赤ちゃん?! い、いや、俺が見た時には千尋さんの姿しかなかった、筈!」
「あぁっ!」
勇人の答えを聞いた時の彼女の絶望の表情は、筆舌に尽くし難いものがあった。
空の両手を凝視し、それから髪を振り乱し全身を掻き抱き、彼女は言葉にならない悲しみの声をあげて涙を零した。
暫く、誰も彼女に話しかけられなかった。
特に勇人は、強い自責の念に駆られて身動きすらできずに立ち尽くした。
自分の起こした召喚事故が、彼女をここまで絶望させた──儀式跡地で目覚めた時の記憶が、勇人の頭を過る。訳の分からないところに突然放り出されパニックを起こし、けれど同じ境遇の仲間が他に三人もいたから、どうにか足を踏み出すことができた。けれど彼女は一人で、抱いていた子供を一度に二人も喪った。
勇人には、彼女を襲った絶望の深さを想像することもできない。
彼女の人生を大きく狂わせてしまった。
彼らは改めて、召喚術という力の危うさを思い知らされた。
はあっはあっはあっはあっ
彼女は息を乱しながら、懸命に夜の森を走っていた。
後ろを振り向きそうになるのを必死で堪えて、両腕に抱えたものがずり落ちそうになるのを何度も抱え直して、とにかく真っ直ぐ走りつづけた。
雑多な物が焼け焦げた厭な臭いと、そこにまじる金臭さ、怒号や悲鳴やげびた笑い声。全てが彼女を駆り立てる。
逃げなければ。この狂乱の宴の犠牲になる前に。
逃がさなければ。せめて、この腕に抱いた二つの幼い命を。
それだけを己に言い聞かせて、置いてきたものを無理矢理意識から締め出して。
「──!」
けれど彼女は唐突に足を止めた。
「ぃやっ……!」
怯える彼女に、追っ手がニヤニヤ近付いて来る。
彼女はその場に立ちすくんだ。
「嫌っ! 止めて! そんなこと望んでない!」
────カッ!
嫌がる彼女を下品な笑みでねめつけていた追っ手は、何かを感じて彼女に伸ばした手を引いた。
それは確かに正解だった。
彼女を軸に、膨大な魔力が渦を巻き、周囲の空間を飲み込み始める。
「何だぁ?」
その異様さに戸惑う追っ手。
彼女は魔力に抗うように、逆に追っ手に近付いた。しかし──
「止めて、アビィ! 私はまだあなたといたい!」
ホギャア、ギャア、オギャア!
彼女に触発されて、腕の中の双子が泣き喚いたのは追っ手にも解った。
或いは、赤子達が泣き喚いたのはこの異様な魔力に触発されて、かもしれないが。
けれど、魔力の生み出す風に耐え切れず追っ手が目を庇っている間に、それは前触れもなしに消えてなくなっていた。
赤子達の泣き声も、彼女の悲鳴も、双子を抱いた女性の姿も。
魔力の渦は、彼女達を飲み込んで満足したように静まっていた。
追っ手は他の仲間達が探しに来るまでぽかんと全てが消えた空間を見つめていた。
その日、聖王国の辺境にあるエニアと呼ばれた小村が盗賊によって滅ぼされた。
駆け付けたトライドラの騎士が調べた限り、生存者はない。
彼女は息を乱しながら、懸命に夜の森を走っていた。
後ろを振り向きそうになるのを必死で堪えて、両腕に抱えたものがずり落ちそうになるのを何度も抱え直して、とにかく真っ直ぐ走りつづけた。
雑多な物が焼け焦げた厭な臭いと、そこにまじる金臭さ、怒号や悲鳴やげびた笑い声。全てが彼女を駆り立てる。
逃げなければ。この狂乱の宴の犠牲になる前に。
逃がさなければ。せめて、この腕に抱いた二つの幼い命を。
それだけを己に言い聞かせて、置いてきたものを無理矢理意識から締め出して。
「──!」
けれど彼女は唐突に足を止めた。
「ぃやっ……!」
怯える彼女に、追っ手がニヤニヤ近付いて来る。
彼女はその場に立ちすくんだ。
「嫌っ! 止めて! そんなこと望んでない!」
────カッ!
嫌がる彼女を下品な笑みでねめつけていた追っ手は、何かを感じて彼女に伸ばした手を引いた。
それは確かに正解だった。
彼女を軸に、膨大な魔力が渦を巻き、周囲の空間を飲み込み始める。
「何だぁ?」
その異様さに戸惑う追っ手。
彼女は魔力に抗うように、逆に追っ手に近付いた。しかし──
「止めて、アビィ! 私はまだあなたといたい!」
ホギャア、ギャア、オギャア!
彼女に触発されて、腕の中の双子が泣き喚いたのは追っ手にも解った。
或いは、赤子達が泣き喚いたのはこの異様な魔力に触発されて、かもしれないが。
けれど、魔力の生み出す風に耐え切れず追っ手が目を庇っている間に、それは前触れもなしに消えてなくなっていた。
赤子達の泣き声も、彼女の悲鳴も、双子を抱いた女性の姿も。
魔力の渦は、彼女達を飲み込んで満足したように静まっていた。
追っ手は他の仲間達が探しに来るまでぽかんと全てが消えた空間を見つめていた。
その日、聖王国の辺境にあるエニアと呼ばれた小村が盗賊によって滅ぼされた。
駆け付けたトライドラの騎士が調べた限り、生存者はない。
彼にしては落ち着きがないと、親兄弟どころか道場に通う門下生達にまで言わしめた衝撃的な出会いの翌日──テニスバッグを担いだ彼は、再びあの公園へと訪れていた。
時刻は17時少し前。通い慣れた道とは違えども、彼の所属するテニススクールと自宅の間にあることに気付いて、つい足を向けてしまった。
少し前までは高層マンションの建設ラッシュで、立ち入りを制限された一角だった。公園そのものは昔からあるらしいが、周囲のマンションの高級感に合わせて設備も整備されたらしい。ヨーロッパの宮廷庭園風に整えられた木立や、彫刻の施されたベンチ。薔薇のアーチ等は手入れを怠ると悲惨なことになりそうだが、今のところはあずまやへ続く道まできちんと気を配られているようだ。
昨日演舞の繰り広げられていた広場には、今はブランド物のスウェットを着てストレッチする人や、大型犬を引き連れて散歩する人、ウォーキングに勤しむ老夫婦など、ごく普通の小金持ちの姿が見られた。
今、此処にあるのは日常だ。彼はそれにホッとしたような、残念なような感想を抱く。
「……バカバカしい」
彼は自分に呟いて、踵を返した。
その時──
「むしろ、システムキッチンは渚の方が使い慣れてると思う」
スーパーのビニール袋をぶら下げた、いかにもお使い帰りの少女だった。
公園の茂みの前を、似た雰囲気の少女と並んで歩いていく。その、のんびりとした声に耳を疑った。
「そうは言っても、そんなの使ってる暇なかったし」
「ハイウィンドとかヒルダガルデは?」
「そう! すっごい整ってるの。キッチンも大きくて」
「じゃあ」
「専属のキッチンクルーもついてるわけ。こっちの出る幕なんて──」
これだけじっと見ているのだ。彼女達が気づかないはずがない。もう一人の少女が言葉を途切れさせると、聞き覚えのある声の主も彼の方を振り返った。
「──っ」
真っ直ぐに伸びた黒髪。焦げ茶色の眼を縁取るのは黒々とした長い睫毛。色彩は、日本人一般に有りがちな組み合わせだった。そのことが、むしろ、違和感を助長させた。
どうする、そういいたげに連れを見る彼女。その連れは栗色のふわりとした髪に、青みがかった黒目の持ち主。軽く肩を竦めて、
「何か用ですか?」
「いや……その」
「何だか幽霊見たような顔してる」
「──っ?!」
彼は肩を跳ね上げた。
思わずまじまじと彼女を見つめると、嫌そうに眉を寄せられる。
「渚」
「大丈夫、多分」
彼女は首を振って黒髪の心配をおしのけた。
「失礼な君、名前は?」
「日吉……若……って、そうじゃない!」
問われるまま名を名乗って、彼──若はガバッと身を乗り出した。
思い出すのは昨日の恐怖。それでも逆らうことに抵抗が少ないのは、此処が日常の片隅だからか、彼女らの纏う色彩故か。
「あんたら、昨日は──」
「ガウム~」
──ドカンッ
「なっ?!」
唐突に何かに跳ね飛ばされる。
「きゃっ! ごめんなさい。ぶつかってしまったわ」
「大変! 向こうで少し休んだ方良いよ」
二人はわざとらしい声を上げる。
「っ!」
「ほら、こっち」
「荷物は、これね」
状況を把握するより、引っ張られ、押される方が早かった。
抵抗する暇などない。
若は二人組によって緑のアーチで隔離されたあずまやへと連れ込まれてしまった。
「──これでよし」
辺りを見回した渚が満足げに頷く。
ドサリと買物袋諸々をベンチに置いた黒髪は、小型犬のようなちまっとした毛玉を抱き上げてその頭を撫でた。
「きゅ~っ♪」
嬉しそうに鳴く毛玉。
残りの買物袋と若のテニスバッグをベンチに並べる渚を、若は何とも言えない表情で見る。
その細腕で、どうやって運んだ、とか、どうやって自分を押したのか、とか。
「大丈夫?」
渚は首を傾げ、それから黒髪に視線を移す。
「この子だって手加減してるわよ」
「キュウッ!」
誇らしげな毛玉の一鳴き。もしかしなくとも、先程若を突き飛ばしたのはこの毛玉なのだろう。見かけによらず凄いパワーだ。
「……って! わざとか!」
「あ、喋った」
「確かに──ダメージはたいしてなさそうだね、多分」
渚はあらぬ方向を見つめて呟く。一体その焦点はどこに結ばれているのか──薄気味悪く思ったことは、若の喉元までで留め置いた。
これみよがしな黒髪の溜息が、より彼の神経を逆撫でたので。
「うっかり何かが飛んで来たら危ないって、ちゃんと警告しておいたのに」
「今のそれは完璧わざとなんだろうが!」
それ、という所で若は毛玉を指差した。毛玉はつぶらな瞳で若を見上げるが、彼はそんなことでぐらつきはしない。黒髪は眉を上げ、
「ま、良いか」
何を流したのかは彼女にしかわからない。
「あれだけガクブルしていた割に、威勢が良いな」
「馬鹿にしているのか?!」
眦を吊り上げて振り返って、若ははっと気がついた。挟まれている。渚はその若の表情の変化すら面白そうににやりと笑う。
「──あんたらが昨日の事で俺に何かする気なら、とっくにやってるだろ」
若は考え考え、状況を打破する言葉を探し紡いだ。
「隔離したここでも皮をかぶってるのは、俺に何か用があるんだ」
「何故?」
「退路なんて断たなくても、あんたに威圧されたら俺は動けない。あんたは分かってる。なのに目に見えるだけのやり方を選んだんだ」
「なかなかハイスペックな十二歳だと思わない?」
渚が若の言葉に応じる代わり、反対側の黒髪が渚に声をかけた。
「言うと思った。まあ、及第点?」
「キュッ!」
まるでやり取りを把握しているように相槌を打つ毛玉。若にはよくわからないが、彼女達が気に入る答えを返せていたようだ。
「こっちに用があると言うより、何かききたいことがあったのは君の方じゃないの?」
「え……」
答えを搾り出すのに必死で、クスクス笑った渚が水を向けて来る理由がわからず、若はしばし固まった。
五、六回意識的に瞬きを繰り返して渚を見返す。
用事、というか若が彼女達を凝視していたのは、昨日の二人と本当に同一人物なのかと眼を疑ったからだ。既にその問題は解決している。いや、強いて言うなら──
「何で今はそんな格好なんだ?」
「普通は何であんなカッコしていたのかって聞くと思うんだけどね」
「だって昨日のあれが地毛なんだろ?」
「さあね」
渚は肩を竦める。
「でも、もしそうだったらすごく目立つんじゃない?」
「だからってわざわざ日本人に色を合わせるのか? 聞いたことない、そんな妙な外人」
「は?」「え?」
若の指摘に、二人は同時で怪訝な声をあげた。ぽかん、と眼を丸くして若を見つめる渚の表情は初めてだ。
「だから、無理して合わせる必要もないだろって言ってるんだ」
何で俺がこんな事──思いながら若は二人に告げる。すると、渚はくしゃり、と大して違わない高さにある若の髪を撫で、
「元々はどっちもこんな感じだったからね。でも、確かに四六時中色を乗せてる必要もないのかも」
「っガキ扱いするな!」
若は頬を赤くしてその手をはねのけた。
言われた言葉よりも、彼女の手つきが子供を褒めるときのそれを連想させて、悔しい。
渚は若の反抗など気にした素振りもなく、にんまり笑って続けた。
「君のその発言に免じて、とっておきの秘密を教えてあげようか」
若の眼には、彼女の瞳が青い燐光を放っているように見えた。
「私達はこの世界の人間じゃないんだよ」
だから、そんな荒唐無稽で突拍子もない発言も、すとんと腹の中に落ちて行った。
人間じゃなければ、年齢も見かけどおりではないのだろう──妖怪は実在したのだ。妖怪ならば小童とあしらわれるのも仕方がない。
少しずれた納得をしたことで、後日彼は大変な目に遭うことになる。
時刻は17時少し前。通い慣れた道とは違えども、彼の所属するテニススクールと自宅の間にあることに気付いて、つい足を向けてしまった。
少し前までは高層マンションの建設ラッシュで、立ち入りを制限された一角だった。公園そのものは昔からあるらしいが、周囲のマンションの高級感に合わせて設備も整備されたらしい。ヨーロッパの宮廷庭園風に整えられた木立や、彫刻の施されたベンチ。薔薇のアーチ等は手入れを怠ると悲惨なことになりそうだが、今のところはあずまやへ続く道まできちんと気を配られているようだ。
昨日演舞の繰り広げられていた広場には、今はブランド物のスウェットを着てストレッチする人や、大型犬を引き連れて散歩する人、ウォーキングに勤しむ老夫婦など、ごく普通の小金持ちの姿が見られた。
今、此処にあるのは日常だ。彼はそれにホッとしたような、残念なような感想を抱く。
「……バカバカしい」
彼は自分に呟いて、踵を返した。
その時──
「むしろ、システムキッチンは渚の方が使い慣れてると思う」
スーパーのビニール袋をぶら下げた、いかにもお使い帰りの少女だった。
公園の茂みの前を、似た雰囲気の少女と並んで歩いていく。その、のんびりとした声に耳を疑った。
「そうは言っても、そんなの使ってる暇なかったし」
「ハイウィンドとかヒルダガルデは?」
「そう! すっごい整ってるの。キッチンも大きくて」
「じゃあ」
「専属のキッチンクルーもついてるわけ。こっちの出る幕なんて──」
これだけじっと見ているのだ。彼女達が気づかないはずがない。もう一人の少女が言葉を途切れさせると、聞き覚えのある声の主も彼の方を振り返った。
「──っ」
真っ直ぐに伸びた黒髪。焦げ茶色の眼を縁取るのは黒々とした長い睫毛。色彩は、日本人一般に有りがちな組み合わせだった。そのことが、むしろ、違和感を助長させた。
どうする、そういいたげに連れを見る彼女。その連れは栗色のふわりとした髪に、青みがかった黒目の持ち主。軽く肩を竦めて、
「何か用ですか?」
「いや……その」
「何だか幽霊見たような顔してる」
「──っ?!」
彼は肩を跳ね上げた。
思わずまじまじと彼女を見つめると、嫌そうに眉を寄せられる。
「渚」
「大丈夫、多分」
彼女は首を振って黒髪の心配をおしのけた。
「失礼な君、名前は?」
「日吉……若……って、そうじゃない!」
問われるまま名を名乗って、彼──若はガバッと身を乗り出した。
思い出すのは昨日の恐怖。それでも逆らうことに抵抗が少ないのは、此処が日常の片隅だからか、彼女らの纏う色彩故か。
「あんたら、昨日は──」
「ガウム~」
──ドカンッ
「なっ?!」
唐突に何かに跳ね飛ばされる。
「きゃっ! ごめんなさい。ぶつかってしまったわ」
「大変! 向こうで少し休んだ方良いよ」
二人はわざとらしい声を上げる。
「っ!」
「ほら、こっち」
「荷物は、これね」
状況を把握するより、引っ張られ、押される方が早かった。
抵抗する暇などない。
若は二人組によって緑のアーチで隔離されたあずまやへと連れ込まれてしまった。
「──これでよし」
辺りを見回した渚が満足げに頷く。
ドサリと買物袋諸々をベンチに置いた黒髪は、小型犬のようなちまっとした毛玉を抱き上げてその頭を撫でた。
「きゅ~っ♪」
嬉しそうに鳴く毛玉。
残りの買物袋と若のテニスバッグをベンチに並べる渚を、若は何とも言えない表情で見る。
その細腕で、どうやって運んだ、とか、どうやって自分を押したのか、とか。
「大丈夫?」
渚は首を傾げ、それから黒髪に視線を移す。
「この子だって手加減してるわよ」
「キュウッ!」
誇らしげな毛玉の一鳴き。もしかしなくとも、先程若を突き飛ばしたのはこの毛玉なのだろう。見かけによらず凄いパワーだ。
「……って! わざとか!」
「あ、喋った」
「確かに──ダメージはたいしてなさそうだね、多分」
渚はあらぬ方向を見つめて呟く。一体その焦点はどこに結ばれているのか──薄気味悪く思ったことは、若の喉元までで留め置いた。
これみよがしな黒髪の溜息が、より彼の神経を逆撫でたので。
「うっかり何かが飛んで来たら危ないって、ちゃんと警告しておいたのに」
「今のそれは完璧わざとなんだろうが!」
それ、という所で若は毛玉を指差した。毛玉はつぶらな瞳で若を見上げるが、彼はそんなことでぐらつきはしない。黒髪は眉を上げ、
「ま、良いか」
何を流したのかは彼女にしかわからない。
「あれだけガクブルしていた割に、威勢が良いな」
「馬鹿にしているのか?!」
眦を吊り上げて振り返って、若ははっと気がついた。挟まれている。渚はその若の表情の変化すら面白そうににやりと笑う。
「──あんたらが昨日の事で俺に何かする気なら、とっくにやってるだろ」
若は考え考え、状況を打破する言葉を探し紡いだ。
「隔離したここでも皮をかぶってるのは、俺に何か用があるんだ」
「何故?」
「退路なんて断たなくても、あんたに威圧されたら俺は動けない。あんたは分かってる。なのに目に見えるだけのやり方を選んだんだ」
「なかなかハイスペックな十二歳だと思わない?」
渚が若の言葉に応じる代わり、反対側の黒髪が渚に声をかけた。
「言うと思った。まあ、及第点?」
「キュッ!」
まるでやり取りを把握しているように相槌を打つ毛玉。若にはよくわからないが、彼女達が気に入る答えを返せていたようだ。
「こっちに用があると言うより、何かききたいことがあったのは君の方じゃないの?」
「え……」
答えを搾り出すのに必死で、クスクス笑った渚が水を向けて来る理由がわからず、若はしばし固まった。
五、六回意識的に瞬きを繰り返して渚を見返す。
用事、というか若が彼女達を凝視していたのは、昨日の二人と本当に同一人物なのかと眼を疑ったからだ。既にその問題は解決している。いや、強いて言うなら──
「何で今はそんな格好なんだ?」
「普通は何であんなカッコしていたのかって聞くと思うんだけどね」
「だって昨日のあれが地毛なんだろ?」
「さあね」
渚は肩を竦める。
「でも、もしそうだったらすごく目立つんじゃない?」
「だからってわざわざ日本人に色を合わせるのか? 聞いたことない、そんな妙な外人」
「は?」「え?」
若の指摘に、二人は同時で怪訝な声をあげた。ぽかん、と眼を丸くして若を見つめる渚の表情は初めてだ。
「だから、無理して合わせる必要もないだろって言ってるんだ」
何で俺がこんな事──思いながら若は二人に告げる。すると、渚はくしゃり、と大して違わない高さにある若の髪を撫で、
「元々はどっちもこんな感じだったからね。でも、確かに四六時中色を乗せてる必要もないのかも」
「っガキ扱いするな!」
若は頬を赤くしてその手をはねのけた。
言われた言葉よりも、彼女の手つきが子供を褒めるときのそれを連想させて、悔しい。
渚は若の反抗など気にした素振りもなく、にんまり笑って続けた。
「君のその発言に免じて、とっておきの秘密を教えてあげようか」
若の眼には、彼女の瞳が青い燐光を放っているように見えた。
「私達はこの世界の人間じゃないんだよ」
だから、そんな荒唐無稽で突拍子もない発言も、すとんと腹の中に落ちて行った。
人間じゃなければ、年齢も見かけどおりではないのだろう──妖怪は実在したのだ。妖怪ならば小童とあしらわれるのも仕方がない。
少しずれた納得をしたことで、後日彼は大変な目に遭うことになる。
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